㉚ 台北生活

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台湾に来てから、好きな先生に手紙を書いた。どんな内容でも良いから返事が来るのを待った。
…が来ない。しばらくしてからもう1度送った。・・・が先生から手紙の返事が来る事は無かった。

2か月に1度位の割合で母親に日本で購入して品物を送って欲しいと頼んだ。管理人さんがいつも荷物を預かってくれていた。中身は毎日仕事で履いている白いストッキング(ジバンシーのラインストーン付き)、生理用ナプキン、柿の種、etc。母親は手紙を添えていた。書き出しは「私の可愛い凜へ」だ。私は「えっ!?本当にそう思っているの?」と驚いた。この頃、母親は一人で住んでいた。だから淋しかったのだろう。代金は母親持ちだ、私は遠慮せず、この時とばかりにと思い母親に頼んだ。

仕事でフェイシャルをしながらネイルケアをするお客様が多かった。
日本人のお客様も多く、私を食事に誘ってくるお客様もいた。ある方は飲茶に誘ってくれた。
ある方は泊りに来れば?と誘って下さり、副店長の報告して泊りに行った。台湾人のご主人と日本人の奥様夫婦だ。家は陽明山の麓の一軒家でタクシーで行った。ご主人様はとても優しくて、私にとても良くしてくれた。まずは家の中を案内してくれた。寝室には夫婦の結婚式の大きな写真が飾られていた。屋上ではご主人の趣味で集めた石が沢山置かれていた。ある石を指して「これは台湾の地図と同じ形をしてるんだよ」と教えてくれた。私はタダの石じゃん、と思ってしまったが一生懸命に話すご主人が可愛いと思った。夕飯の前に夜市に連れて行ってくれた。浅草の仲見世のような感じだ。ある靴屋に入った。来た時に購入した靴がもうダメになってしまっていて新しい靴が欲しかったのだ。それを話したのだ。良い靴が見つかった!ご主人に「これが欲しい」と伝えた。そうすると店員と何か話している。話が終わるとお店を出て行ってしまった。私は「えっ?買いたいのに出て行っちゃうの?」と慌てていたら、奥さんが「大丈夫よ」と言ってくれた。お店を出た瞬間、店員が追いかけて来てご主人と話しをして靴を購入する事が出来た。どうやら、値引き交渉をしてくれていて、ご主人の言い値に「うん」と言わなかったので強気でお店を出たら店員が折れて負けてくれたのだ。靴は買ってくれた!お礼を言った。ものすごく嬉しかった。

翌日は故宮博物院へ出かけた。
入口でご主人と写真を撮った。ご夫婦には子供がいなくて「養子に来てくれないかしら」と冗談まじりで言った。私は少し心が揺れた。このまま台湾に残ろうか・・・。しかし母親は絶対に許さないだろうな・・・。とも思った。ご主人と写真を撮る時に手をつないだ。まるで本当のお父さんと手を繋いでいるみたいで泣きそうだった。今でもよく覚えている。

中国は自転車天国だったが、台湾はバイク天国だった。50ccのバイクにお父さんが運転し、その前に子供を立たせて、お母さんと子供が後ろに乗って家族4人がバイクの乗っているのだ。しかもヘルメット着用の義務はない。そんなバイクが沢山だった。

台北で有名なお寺「龍山寺」へも何度か行った。お線香が長くてお参りする順番も決まっている。占いもしているようだった。色んな方々が来ていて信心深い人が多い国だった。

日本人スタッフで飲茶へも出かけた。ワゴンで点心を運んでいる、テーブルに座ったままで好きな物を取って(言って)食べられる。お茶も飲み放題。お茶が切れたら、急須の蓋をずらして開けておく、そうすると店員が気が付いてお湯を足してくれるシステムだ。その時、片手でテーブルをトントンと叩くと「ありがとう」という意味だ。

副店長と中正記念堂へ観光へ行った。歴史にうとかったのであまりよくわからなかった。

そんな台湾生活を送っていた。

つづく。

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