30歳になって近所のスーパー内に写真のスピードプリントお店「55ステーション」がオープンしたので、そこで働いてみようと思った。
面接をして採用された。そこで2番目の夫ゆうちゃんと出会う。
仕事は遅番専門で内容は簡単ではなかったが、(お客様のネガを取り扱うので)楽しく仕事をしていた。
時給も仕事内容の級を何級合格しているかで決まっていたので公平で良かった。それに売ろうとしないで済むのも楽だった。写真は色(シアン、マゼンダ、イエロー)の配合と明るさ、配置も調節する。一枚一枚するのだ。そのテストが突然行われる。私は100点満点を取った事がある。当時は使い捨てカメラ(正式名称 レンズ付きフィルム)が流行していて沢山扱った。
この頃、調子が良くなっていた私はもう一つアルバイトをする事にした。55ステーションが遅番専門なので朝番専門で近所を探したら亀戸サンストリート内(現亀戸クロック)の子供服のお店があった。応募したら採用された。週5日入っていた。
午前中は子供服販売、お昼を食べて午後は55ステーションで働いた。夜、スーパーの品出しをしても大丈夫なくらい元気だった。
この頃、母親が「着付け教室」に通ってはどうか?と提案してきた。新聞広告に出ていたが無料だった。それは初級だけが無料だった。通ってみたら同じ歳の友人も出来楽しくて、結局「師範」を取るまで通ってしまった。たまに、「着物販売会」が行われた。ここで生徒に着物を買わせるのが教室の目的でもある。一度、結城紬を勧められた。私には収入が無い。しかし毎回購入しないで教室に通うのも嫌な雰囲気で嫌だった。私は母親に電話をして「買って欲しい」とお願いした。確か20万円位だったと思う。「そんなお金ないわよ」と言われたが「「毎回何も購入しないで教室に通うのも肩身が狭いんだよね」と言ったらローンを組んで買ってくれた。その結城紬は一度も袖を通していない。まさに箪笥の肥やしになっている。虫に食われているかもしれない。なんだかそれでも構わないと思っている。
師範になってから教師の助手をした。自分が今迄教わってきた事を今度は教える側になった。それは楽しかった。しかし、体調が悪くなって辞めてしまった。
つづく。
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