⑤ 旧玉ノ井 

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母親はよく私を利用した。
私を連れて質屋に行った。今みたいに消費者金融もない。質屋の前であたりをキョロキョロ見てから中に入った。相手が品物を見ている間に私をチラッと見るのだ。「子供が居て大変だから多く見繕って欲しい」という母親のアピールに私は利用されていた。

それから買い物の時、肉屋でコロッケを買った時、店員がカウンターを離れた瞬間を見て母親は「取りなさい」と小声でショーケースの上のラードを指した。子供ながらにそれは黙って取ってはいけない物だと分かっていたが、母親が怖くて2.3個握りしめた。ウチは油も買えない貧乏人なんだと思った。

卵は八百屋で1個から買う事が出来た。母親は自分が買う時は10個。しかし、お金に困って10個買えない時は必ず私に買いに行かせた。見栄っ張りな人だった。

父親は夏休みになると自分の兄弟が住む埼玉の山奥の田舎に連れていった。そこで私は出されたスイカとトウモロコシをお腹一杯食べた。帰りの車の中、車酔いしてしまった。「気持ち悪い吐きそう」と言っても車を止めてくれない。我慢してみた。しかし良くなるはずがない。「気持ち悪い」「気持ち悪い」と何度か言うと母親が「お父さん、止めてあげて」と言い、やっと車が止まる。渋滞しているわけでもない、田舎の山道だ。父親に「遠くで吐いて来なさい」と言われた。吐いてる間母親は車から出て来なかった。今、思うのは我慢しないで車の中で吐いてやれば良かった。

母親は若い頃裁縫を習っていてよく私達兄弟の洋服を作ってくれた。お気に入りのピンクのジャンパースカートとボレロのセットを田舎に着て行った。一つ年上の従妹がいた。その従妹の家に泊まった翌日、そのジャンパースカートとボレロが従妹のものになっていた。「お母さん、どうして?どうしてあげちゃうの?私のお気に入りなのに!なんで?」と聞いても何も答えてくれなかった。私は従妹の服を着て帰って来た。母親は私が納得するように何一つ説明してくれなかった。

私は動物が好きだった。猫を飼いたかったが借家だったし、母親が猫が嫌いで飼う事が出来なかった。ある日、公園の野良猫三匹をコッソリとウチに連れてきて遊んでいた。楽しくて時間が過ぎるのを忘れてしまい母親がパートタイムから帰って来て見つかってしまった!「捨てて来なさい!」と怒鳴られ、渋々元に戻した。この時大人になったら猫を飼おうと決めた。
今、21歳で天国に行った凜、11歳で天国に行った小鉄、今も元気な11歳の銀太、先月家族になったばかりの3か月のAnge(アンジュ)(フランス語で天使)と蓮、トイプードルのMOONを飼っている。

左 銀太 右 小鉄

MOON

茶トラ 蓮 クリーム色 Ange

つづく。

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