㊿ 父親他界

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母親が他界した翌年、父親が他界したと連絡が来た。脳卒中だったらしい。しかも連絡が来た時には葬儀が終わっていた。
私は看取りたかったわけではない。父親に文句を言いたかった。なぜ私達家族を捨てたのか、借金を擦り付けたのか、なぜ何も説明せずに消えたのか・・・???
もう聞く事も出来なくなってしまった。
私は愛人の女に言いたい事を言ってやろうと49日法要に兄と行った。実姉は「行かない」と言いながら毎日ウチに電話してきては「こう言ったらどうするの?私、憤死しそうなんだけど!」と騒いでいた。・・・でも現場には来ない奴だった。
父親は7人兄弟の長男だ。私が行ったら、誰だか分からないが、女性が「来てくれてありがとう」っと泣いていた。何を勘違いしてるんだろうか、私は一度たりとも許した事などない。

法要が終わって話があるから愛人を待っていたら「あら~凜ちゃん!」と嬉しそうに呼ばれた。能天気な女だ。

兄の車に乗って父親の家に行った。女はスイカを切って持って来た。「私スイカ嫌いなんですよね」と言ってやった。本当に嫌いだ。子供の頃田舎で食べて車酔いで吐いた記憶が消えない。女はしばらくバタバタしていたが私と兄がテーブルの椅子に座り、女と腹違いの弟(ゆういち)は床に正座した。
私は今まで溜まっていたうっ憤を吐き出した。女が20歳の時にゆういちを産んでいる。女は看護師だった。「不倫相手の子供をよく産みましたよね?」と言うと「まだ20歳だったんです」と言うので「もう20歳ですよ!」と言ってやった。「父親が籍を入れてくれて嬉しかったですよね?私達は父親をなくしたんです」「借金も持って行って欲しかったです!」女は「すみません!すみません!」と謝った。「母親はあなたが夜勤だから仕事が休めないと言ってゆういちを預かった事もあるんですよ!」「すみません!すみません!」この時だけは本当に謝っていた。カエルの貯金箱でゆういちをあやしていたのがそうだったのだ。
そして事前に兄にお願いしていた事を言ってもらった。「こいつ、うつ病なんですよ」そうすると、父親の弟が「全て兄貴が悪い!」と言った。「そんなの当たり前じゃないですか!」私も怒鳴った。

家は真新しい一軒家だった。女は「私名義です」と言った。父親の生命保険の事を聞くと、倒れる前に「俺は大丈夫だから解約する」って言って無いんです」と言った。本当はどうか分からないが仕方ない。父親の通帳を見ると80万円しかなかった。私の取り分は10万円だ。もうこの人達に二度と会う事は無い今日貰わないと。兄は「要らない」と言った。そして女は「お墓も立てなきゃいけないに」と言いやがった。私「無縁仏で良いじゃないですか」「お金あるかしら?」「コンビニのATMもありますよ」私は言った。叔父が形見分けをどうぞと言う。そんな物要らない。兄はネクタイを何本か貰ったようだ。私は遺影も見なかったし、お経の間のお焼香もしなかった。帰り際、ゆういちに「親父みたいにならないでよ」と声を掛けた。兄は「ゆういちくん、お父さんに殴られたことはある?」と聞いていた「ないです」ゆういちは小さい声で答えた。兄は父親に子供の頃殴られて鼓膜が破れている。どういう理由で質問したのか不明だ。

兄の家に着いて一息したら兄はネクタイを燃やそうと言った。どうせケチの恰好つけだからネクタイなんてナイロン製でしょ?と思っていたら本当にナイロン製で笑った。その煙を吸ってしまい兄を恨んだ。


つづく。

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