⑩ 私立女子共栄学園入学 

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受験のシーズンになった。
学校も中学2年生からほとんど登校していない・・・。出席日数が足りない。
担任の先生が少しごまかしてくれた。・・・が多少ごまかしてもあまり変わりはない。私立の推薦入学を進めてくれた。英語の先生が面接の指導を丁寧にしてくれた。そのお陰で私立女子共栄学園に合格した。
入学式、校庭に女子しかいないのを見て「げっ!女しかいない!」と口にだしてしまった。

この学校は「普通科」と「商業科」があった。私は「商業科」に入学した。「梓組」(あずさぐみ)と言ってクラスの名前が全て植物の名前になっている。クラブ活動はバトン部にした。
放課後、部室に行こうとしたら違う部の顧問に呼ばれて「最寄り駅の一番早い上りの発車時間を調べて来い」と言われた。時刻表を持っていない。その場で大声を出して誰かに聞く勇気もなかった。焦った私は駅まで走って行き、直に駅員さんに聞いて先生に伝えた。そうしたら「もういいや」と言われた。あっ、イジメだな。と思った。
ある日「生理痛が酷くて体育の時間を見学させて下さい」と女性の教師に言ったら「私は痛くてもやってるけどね!」と言われた。あんたは仕事でしょ。それに私に言ってどうすんのさ。あー、こんな教師が居るところ嫌だなと思った。クラブ活動は1年生の部長を任されていた。毎日楽しく活動していたが、器用貧乏な私は大体の事はやりこなしてそまう。先輩はそれが気に入らなかったのかもしれない。よくきつく当たられた。

お昼ご飯も毎回困った。母親は絶対にお弁当は作ってくれなかった。学食のカレーやラーメンは直ぐに売りきれてしまう。もっぱら総菜パンを食べていた。毎日毎日、お昼ご飯がちゃんと食べられるのか心配でしかたなかった。対外総菜パンを食べていた。

中学生1年の頃から視力が少しずつ落ちて行った。授業中は眼鏡をかけるようになった。高校になったらコンタクトレンズをするようになった。ソフトコンタクトレンズにした。近所の丸井でローンで自分で購入した。カラーコンタクトレンズにした。

2学期になって又シンドクなった。休みがちになった。バトン部で銀座の大通りのパレードに参加するはずだったが、欠席数が多いという理由で出させてもらえなかった。とても悔しかった。先生達の事もあり、なによりシンドクなってしまった私は母親に「学校を辞めたい」と言った。「いじめられてるの?」と聞いてきた。「いじめられていない」「じゃ、どうして?」「わからない」「やめてどうするの?」普段は何も言わない姉も揃って「やめてどうするの?」と二人そろってやつき早に聞いてきた。私は「定時制高校に通う来年受験しなおす!」と言い放った。二人は黙った。
学校の先生に「自主退学」の申告をした。担任の先生はあともう少ししたら、偏移入学が出来るからもう少し通ったら?」と言ってくれた、又違う先生は「定時制なんて卒業できっこない!」と言い放った。私は「絶対に卒業してやる」と決めた。そして、こんな学校クソくらえだった。

つづく。

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