母親が他界した1999年10月12日以降、毎晩毎晩眠る時にうなされて泣き叫び祐ちゃんに抱きしめてもらわないと収まらず、正気で居られくなった。
私はその時、アルバイトを2つ掛け持ちしていたが両方共出来なくなってしまった。酷いうつ状態だった。
どんどん貯金が無くなって来た。これからどうやって生きて行けばいいのか?その時、付き合っていた祐ちゃんはまるで他人事だった。
生活保護は受けられるかな?起き上がるのもやっとの思いで祐ちゃんと電車に乗って区役所に行った。その時相談した人には「通帳に2万円入ってますよね?」とだけ言われて返された。浅草のマックでもう私は終わったな・・・と思ったのを覚えている。
その事を実姉に話した。「食費ぐらい銀行にいれてるのは当たり前じゃん!!」と憤っていた。
実姉は私との電話の後、区役所に電話をしたらしい。何日か後、保護課の人(男性)が2人来て書類に署名して生活保護を受給する事が出来た。この件だけは実姉に感謝している。・・・が、後日実姉は「アンタに金銭的援助はしないって書かされたんだけどっ!!」と怒鳴られた。助けたいのかそうじゃないのか・・・。
ともかく、治療に専念できる。
つづく。
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