小学生3年生の頃、旧玉ノ井に引っ越した。
私は学区外になってしまい一人で毎日「小さい秋みつけた」を歌いながら登校した。途中で担任の先生と合流するのだけれど、何を話せば良いのか困った。卵を冷蔵庫に保存する時はとんがった方を下にすると良いとテレビで知って「これは先生と一緒のなった時にはなさなくては」と思い、話した。先生は「さすが、かぎっ子!」と褒めてくれた。
児童保育になり私はゆっくりしたかったが下級生がいたので面倒を見てしまいとても疲れた記憶がある。児童館の先生には「しっかりしてるわねぇ」と言われた。
児童館の帰り道、向こうから来るおじさんに「曳舟駅はどっち?」と聞かれたので説明して歩き始めたら私とは反対方向へ行くはずのおじさんが私の後をついて来る!!
「どうしよう、ついてくる」「脇道に入ってみよう」「あー、脇道にも付いてくる」「やっぱり大きな通りに出よう」「誰かに声を掛けた方が良いかな?」「もうすぐウチに着いちゃう」「交番に行った方が良い?」「でもその間になにかあったらどうしよう!」もう頭の中はパニック!!そう思っていたら、おじさんが道にしゃがんで「お腹が痛い、痛い」と言い出した。私が「大丈夫ですか?」と聞くと思ったか?私はその隙に走った!思いっきり走った!足は速くない。走りながら「今、大人の足でついて来られたら追いつかれる!」「ウチがバレてしまう」やっとウチに着いた。焦って鍵がなかなか開かない。今、おじさんが来たらアウトだ。やっと開いた!急いで中に入り鍵を閉めた。ドキドキがしばらく止まらなかった。
その事を母親に報告した。「何かされたか?」とは聞かれたと思う。「なにもされてない」と話したら、母親は何も言わなかった。
兄と姉の話が出て来ないが、それもそう、面倒を見てもくれないし、遊んでもくれなかった。いないのも当然なら良いが、兄には「タバコを買ってこい」「プレイボーイ(週刊誌)を買ってこい」と言われ姉には「ウチには父親が居ないんだから何でも自分でやらなきゃダメなんだからね!」と言われていた。いない方が良かった。
兄は高校を中退して暴走族に入りガソリンスタンドでアルバイトをして暴走族で暴れていた。姉は高校に通いながら近所のパン屋でアルバイトをして、たまに売れ残りのパンを持って帰ってきてくれた。コーヒー味の甘いパンが私のお気に入りで、そのパンを持って来てくれると嬉しかった。・・・が持って来てくれたパンの中にそのパンがあるかどうか飛びつく私を姉は嫌そうに見ていた。
兄と姉はよくケンカをしていた。夕飯時、兄が姉に「なんだよその目つきはっ!」「何も言ってないじじゃん!」で始まり取っ組み合いの大ゲンカになるのだ。怖くて毎回大泣きしていた。
小学4年生になり児童保育も卒業してウチで遊ぶようになった。
親友のアイコとホットプレートでもんじゃを作ったり、手作りキャンドルを作ったり、ボードゲームをしたり、もちろんピンクレディーの振りまねをして遊んだ。(アイコがケイちゃんで私がミーちゃんだった)何も考えなくて楽しめたこの時間が一番楽しかった。
つづく。
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