② 第三寺島小学校入学 

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第三寺島小学校へ入学した。
入学式の時に門を入ると一年生の名札がテーブルに並べられていた。先生らしき大人が「どれかなぁ~?」と言って私の名札を探し始めた。私は焦って先生より先に自分の名札を探し当てた。先生は「すごい!」と褒めてくれた。この時「あー、自分の名前が読めて良かったぁ」と思った。

学校へは集団登校で友人も出来て楽しく過ごしていた。
放課後によく遊ぶ仲間の中におせんべい屋の子がいて、ある日お店に行ったらその子のお母さんが「なんのおせんべいが食べたい?」と聞くので「しょうゆ!」「ざらめ!」などそれぞれ食べたいものを言っていった。私も「しょうゆ!」と言ったと思う。おばさんが皆におせんべいを配り終わったら、「はい50円ね」と言った。「えっ!お金獲るの?」と思った!手に取ってしまったからには返せない。嫌なやり方をするんだな。だから老舗でやっていけるんだなとも思った。次からは欲しいと言わないでおこうと決めた。

この頃から、父親があまりウチに帰って来なくなった。
ある日、父親と銭湯へ行ったもちろん「男湯」だ。その時ちょうど同級生の男の子が来ていた。とっても恥ずかしくてしかたなかった。それを母親か父親に言ったのだと思う。次は誰かの家のお風呂に父親と貰い風呂に行った。もう父親とどう接したら良いのか分からなかったし会話も無かったのでとても退屈で苦痛なお風呂タイムだった。父親は私とコミュニケーションを取りたかったらしい。私としては血が繋がっているからといっても普段何も話さない人と一緒にいても辛いだけだった。

学校の給食の時「クリームシチュー」が出た。私は好き嫌いが激しくて鶏肉が食べられない。特に脂身の部分。当時は残すなんて許されなくて給食の時間が過ぎて掃除の時間になってもホコリの中で食べさせられた。そのクリームシチューの鶏肉の脂身を思いっきり噛んでしまった!「おえっ!」と思った瞬間、自分の両掌に吐いてしまった!。周りの男子が騒いだ。担任のおじいちゃん先生は「捨てて来なさい!!」と怒鳴った。捨てて来なさいと言われても両手が塞がっていてドアは開けない、皆、給食を食べているし、先生にどうしたら良いのか聞く事が出来ない子だった。丁度クラスが一階で校庭に面していて校庭側の扉が開いていて水飲み場もある。私は校庭に吐しゃ物を捨てて手を洗って教室に戻った。おじいちゃん先生は「捨てて来たか?」と又、怒鳴った。

2年生になって友人達は自転車で遊ぶようになった。私は自転車を持っていなかったし、乗れなかったので自転車を持っている友人の運転で後ろに乗せてもらっていた。
いつも、それでは申し訳なくなり私は友人にお願いして自転車の乗り方を教えてもらった。一週間位で乗れるようになった。根気よく教えてくれた友人に感謝した。自転車は買って貰えなかったので友人の自転車に今度は私が運転して友人を乗せて遊んだ。
ある日、いつもの様に二人乗りで走っていたらバランスを崩して壁に少しぶつかってしまった。乗りたてで直ぐに二人乗りだ。痛かった。でも「痛い」と母親に言ったら母親は困るだろうと思ったら言えなかった。

2年生になった頃母親はパートタイムで働き始めた。お小遣いを貰って駄菓子屋へ行ったりして買い食いをしていた。
もんじゃをよく食べた。具無しが20円、ベビースターの醤油なしみたいなのが入ると40円、カレー味だとプラス10円で50円になる。私はもっぱら20円。駄菓子屋のおばちゃんが焼いてくれた。美味しかったなぁ~~。
ある時、転校生の子の家に遊びに行った。新築の一戸建てで2階建て。お母さんは専業主婦の様だった。自分の部屋もある。少し遊んだ後おばさんが「おにぎり食べる?」と聞いてきた「はい」と言うとおにぎりを出してくれた。手に取って驚いた。温かい!!思わず「あったかい!」と声に出してしまった。そうしたら、おばさんに「あら、珍しい?」と言われてしまった。ウチでは残ったご飯しかおにぎりになんかしない。レンジなんてないから温めなおす用ではない。なんだか、とても恥ずかしくなった。それからその子の家には行かなくなってしまった。

小学校3年生、引っ越しをした。

つづく。

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