中学2年生の夏、引っ越しをした。
この頃から学校へ行くのが理由もなくシンドクなってきた。担任には「怠け病だな!」と言われた。引っ越し先には自分の部屋もあり勉強も出来た。その間、頭の毛を無意識に抜いてしまっていた。どうしてか分からない。抜かずにはいられないのだ。1mmでも伸びたら抜くのだ。摘まめるのか?と思われそうだが、指がタコになっていて摘まめるのだ。真ん中の分け目に500円玉一個分、左側頭部に同じく500円玉一個分の禿を作った。
母親にその禿を見せた。不安だったからだ。母親は「自分で抜いたの?」と驚いて聞いたが、それ以上何も言わなかった。休みがちになってしまったが登校する時はヘアピンで禿げを隠していた。ただ、体育の時間でバレーボールの時は激しい動きでピンがずれてしまって焦った。
このまま生えなくなったら困る!抜きたい気持ちを一生懸命に堪えた。
9月にお腹が痛くて痛くて仕方なくなった。母親に言って病院へ連れて行ってもらったら、「盲腸です。散らしても良いですが、来年高校受験を考えると手術した方が良いと思います」と言われ急遽、入院手術になった。術後のせん妄が酷かった。せん妄とは違うが、吐きまくった。一晩中吐きまくった。吐くものがなくて変な物を吐いて看護師さんが大騒ぎしていた。せん妄も一晩中続いた。同部屋の人には申し訳ないと本当に思った。病室で山口百恵ちゃんの引退コンサートを見たのを覚えてる。そして隣のベッドのおばさんが週刊誌を見せながら「草刈正雄の結婚相手ってこの女性、私の姪なのよ~」と自慢していた。羨ましかった。
2年生になってから好きな人が出来た。1学年先輩でハンドボール部。とても恰好良い。バスケットボール部のコートの隣でハンドボール部は練習している。休み時間は教室から先輩を校庭で探した。まるで山下孝蔵の「初恋」だ。細かいいきさつは忘れてしまったが、付き合う事になった!お互いの時間割を交換しあい、「今、先輩は美術だ!」と思っては美術室の方を眺めたり・・・。楽しかったなぁ~。
先輩にデートに誘われた。10月1日都民の日。「上野動物園に行こう」と。都民の日は無料だ。何を着て行こう。お洒落しなくちゃ、でもまともなのがない、少し暑いけど新品のアウターを着て行った。動物園では何を話して良いのか分からず、ただゴリラの前で「体育の教師の誰々ににてるねー!」と無理やり盛り上がった。動物園を出た後、先輩は「映画でも観る?」と言ってくれたが、私はどうしたら良いのか分からず、この間に耐えられず「母が熱を出していて看病したいから、もう帰る」と嘘をついた。「無理して今日にしなくても良かったのに」と言われた。先輩とは私が降りる駅でお別れした。ほっとした。
先輩とはその年末にお別れした。
ある日、ウチの電話が鳴った。出ると私あてだ。きけば「陸上部の〇〇ですが、付き合って下さい」と。会ったこともないし、知らない先輩だ。丁寧にお断りした。翌日、教員室に貼ってある陸上部の集合写真が有ったので、陸上部の友人に先輩がどれか教えてもらった。とてもハンサムだった。
中学の2学期頃から、無断で学校を休むようになった。母親に内緒でだ。「休みたい」と言うと母親が学校に電話する時の理由を言わなければいけない、私には理由が分からなかった。なので、面倒だったから無断で休んだ。母親はパートタイムで働いていたので、まず、私がウチを出て、陰で母親がウチを出るのを待って出かけたのを確認してから私はウチに帰るのだ。母親はたまに「学校行った?」と聞く事はあったが、「行ったよ」と言えば何も言わなかった。実際、中間テスト、学期末テスト、年末テストは全て受けていた。ある日、国語の時間、私は教科書をよく読み、範囲内の漢字の練習をしてテストの臨んだ。そうしたら、クラスで1位の成績になってしまった。私が一番驚いた。クラスで「凜は学校を休んで受験勉強をしている」と噂が立った。
中学3年生の体育のプールの時間。私は小学生から着ている水着を着て泳いでいた。プールから上がった瞬間に股間を見たら陰毛がはみ出していた!恥ずかしかった!急いで隠した。一度泳いだだけでやめた。私は水着がきつくなった事を母親に言えなくなっていたし、母親も小学生5年生で148cmから中学三年生で164cmにまで成長しているのにサイズの心配さえもしてもらえなかった。
受験のシーズンになった。
学校も中学2年生からほとんど登校していない・・・。出席日数が足りない。
担任の先生が少しごまかしてくれた。・・・が多少ごまかしてもあまり変わりはない。私立の推薦入学を進めてくれた。兄の様に中卒にはなりたくなかった。英語の先生が面接の指導を丁寧にしてくれた。そのお陰で私立女子共栄学園に合格した。
入学式、校庭に女子しかいないのを見て「げっ!女しかいない!」と口にだしてしまった。
つづく
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