⑦ 正式離婚 

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小学生6年生の春、兄が中学の同級生と結婚した。
近所の区民会館でだ。母親がレースの付いた新品の靴下を2足持って来て「どっちが良い?」と聞くので「こっち!」と好きな方を選んだ。私の従妹も式に参加するので泊まりに来ていた。母親は私が選んだ方の靴下を従妹に履かせてしまったらしく、私には違う方を渡して来た。「何で?私が選んだのと違うじゃん、私、これ嫌だ!」と言った。母親はなぜ初めから私が選んだのではない方を従妹に渡さないのだろうか?ジャンパースカートとボレロの時と一緒だ。その時は譲ったが今回は簡単には譲らない。「結婚式に行かない!」と泣きながらいったが、それから母親は何も言わなくなった。本当に結婚式に行かなくても良いと思っていた。そうしたら兄が「お願いだから結婚式に出てくれないかな?」と言ってきた。本人に「お願い」されたら仕方がない、渋々納得がいかない靴下を履いて行った。こんなに靴下をめぐって泣きじゃくっている年下の従妹に靴下を譲らない従妹って性格が本当に悪い。

父親は相変わらずウチには来なかった。・・・なので会う機会が無かった。
父親は以前、獣医をしていたが、人間を診察してしまい医師免許を剥奪されて、排水工の会社を私が幼稚園の頃はしていた。小学校に上がった頃には道路工事の仕事をしていたようだ。私が産まれて3.4年後に獣医の仕事をしていた時、看護師とよい仲になりその愛人を妊娠させて子供を産ませた。以前ウチに連れて来た男の子だ。腹違いの弟「ゆういち」と言うらしい。ゆういちとはその時と父親の49日法要の時の2回だけ会った。父親は五反田に開業予定で沢山の医療器材を準備していたらしく、借金を祖父、母がしていた。そう、父親は借金も残して消えていたのだ。
私はこんな奴の血が入っているのかと呪った。今、思えば母親も母親だけども。学校からの書類に保護者の署名欄がある。母親は毎回「お父さんの名前にする?お母さんの名前にする?」と聞いてきた。ハッキリ言ってどちらでも良かった。そう言ってしまったら可哀そうだと思い毎回「お母さんにして」「お父さんにして」と言っていた。そんな生活にウンザリしていた。父親は帰って来ない。
私は母親に言った「お母さん、お父さんの事はもう良いじゃない」しばらくして父親と母親は正式離婚した。私は家庭裁判所で「親権は母親で間違いないか、母親の誕生日」などを聞かれた。父親と改まって会う事はなかったので、離婚のちゃんとした理由を聞く事はなかった。母親からもだ。父親の姓から母親の姓になりたかった。父親の姓は嫌だった。しかしならなかった。父親の借金を背負っている祖父の為か、世間体を気にする母や姉のせいか・・・。母親の実家に帰るわけでもなく生活は今迄と変わらなかった。兄が結婚して出て行ったので自分の居るスペースが広くなった。

つづく。

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