おそらく26歳だったと思う。
時間構わず心臓が苦しくなるようになった。とてつもない恐怖が襲ってくる。自分がどうにかなってしまうのではないか(死んでしまうのではないか?)という恐怖だ。そんな時はただ、ひたすら布団に入って丸くなり、目をギューッとつぶり、頭の中でテニスのラリーをゆっくりと想像するのだ。何分かかるのか、なん十分かかっているのか分からないが、それでも良くならない。ある時それは夜だった時は隣の部屋に眠っている母親の布団の横に入り母親の手を握りしめたりもした・・・。それは苦しくて苦しくて怖い思いだ。それが前触れも何もなく日に何度もある。毎日ある。いきなり手を母親の手を握っても母親は驚きもせず一言も何も言わなかった。
こんな恐ろしい事が毎日あるんじゃ普通ではない、何かの病気ではないか?と思い精神科に行く事を決めた。
母親が心臓が悪く御茶ノ水にある駿河台日大病院へ通院していた。そこに精神科があるのでそこへ母親と一緒に行った。一緒と言っても母親は診察室には入って来ない。診察で一通りの話をした。そうしたら脳の検査を受けて下さいと言われ受けたが異常はなかった。そこで診断されたのが「うつ状態」だった。
ショックだった。精神疾患だ。しかし、同時にほっとした。今迄の体調不良の理由が分かったからだ。子供の頃何か悪さをすると「黄色い救急車(精神病専用)が来るよ」と言われて育った。そう差別するように育ったのだ。電車の中で一人ずーっとしゃべっている人が居たらそばを離れるように言われて育った。それでも、理由が分かって私は安心した。
小学生の頃から疲れやすくて、3年生で「なんで私は生まれて来たんだろう」と考え続けて。中学生で不登校、抜毛症・・・。高校生活と台湾時代はそれほどは無かったが、おなじような疲れやさ・・・。この時に通院を決めた状態も今になっては「パニック発作」だと分かる。
闘病生活開始!というわけではない。私はダウンしてる。母親は何もしない。ただ、4週間に1度通院するだけの生活が始まった。とにかく私は堂々と体を休める事が出来るのが嬉しかった。テレビの音がしんどい。NHKの静かな番組しか見られない。午前中は何も出来ない。(午後も出来ないが)
パニック発作も多かった。希死念慮もいつもだった。壁に向かってしゃべり続けた。そうしなくてはいられなかったのだ。好きでやってない。母親のスキをみてはキッチンから包丁を持ち出し、寝る振りをしてベランダの欄干をまたいだ。その度に母親が包丁を取り上げ隠し、ベランダに出ないように寝る時はお互いの手首を紐を縛った。紐なんて母親が寝てしまえばいつでもほどけるのになんて無駄な事をするのか・・・。と思った。とりあえず、死んでもらっては困るらしい事は分かったが、「死なないで」とは一言も言われなかった。
つづく。
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