新婚旅行から帰って来た翌日から正行さんは仕事だった。1日目は食事を作ったが2日目から起きられなくなった。ご飯をタイマーにして、みそ汁は「あさげ」生卵を用意しておいた。朝、用意できないからこうするよと話しておいた。午後起きる、洗濯、掃除をする、夕方から夕飯の準備を始める。21時ころ正行さんが帰って来る、お風呂に入ってもらって、正行さんは0時ころ眠る私は眠れずに一晩中Disney映画の「リトル・マーメイド」や結婚式のビデオを見ていた。もう、鬱状態だ。朝方やっと眠れるのだ。タバコも量も増えていた。
正行さんが酔っぱらって帰って来ることがあった。アパートの壁が薄く隣の音が丸聞こえだった。なにせ隣の部屋のタンスを開ける音が聞こえるくらいだ・・・。遅くにお風呂に入るのだ。「近所迷惑だから朝シャワーにして」と何度言っても無視して何も言わずに夜入った。
お給料が安くて生活がギリギリだから転職して欲しいとお願いした。正行さんにお小遣いは渡していた。私は1日2食だった。私も働こうと面接を受けて採用されたのだが、どうしても気が進まなかった。働けなかった。正行さんは「タウンワーク買えば良いんだろ!」と怒鳴った。嫌いになっていた。
新居の冷蔵庫、オーブンレンジ、電子ジャー、ガスレンジ、台所用品は全て正行さんのお母さん、姑が勝手に選んで買った物だ。買ってあげたわよって感じだ。使うのは私だ勝手に選ぶな。我慢して使ってあげた。そして、毎日姑から電話があった。その時使っていた電話機は留守番電話機能が使われる前から録音されるものだった。なので「ピーッという発信音が鳴りましたら・・・」と言っている時から録音されているのだ。いつも「今日も出かけてるわ」と言っていた。出かけるかねなどないわい、寝てるんじゃい。毎日毎日何の用だ?確か、「何を食べさせてるの?」と聞かれた事があった。失礼な話だ。当時携帯電話などなかったから正行さんの事が心配で心配でしかたなかったんでしょうね。きっと仕事場に電話してるんだろうなと思った。どうでも良かった。結婚して直ぐ、「本家で集まりがあるからエプロンだけ持って来なさい」と言われた。もう、嫁としてこき使われる事が100%だ。嫌で嫌しかたなく正行さんに言って具合が悪いから行かれないと断ってもらった。
家具はベッド以外、全て私の持ち物だった。
結婚して翌年の夏、「そろそろ子供を作ろうかな?」と思った。そんな時、兄に「ネットワークビジネス」と言う名のねずみ講に誘われた。「嫌だと言えばよかった」が「やる」と言ってしまった。「お兄ちゃんを信じた自分を信じるしかないじゃん」と言った。ある程度、それを行った。私達夫婦の仲では会話が無かった。結婚後、直ぐに姉家族と一緒にDisney Landへ行った。その時正行さんと二人だけで写真を撮りたかたので、紗季、由季に「ちょっとどいて」って何度言ってもくっついてくるので写真が撮れない。姉にも「子供たちに言ってよ」と何度も言っても子供たちに言ってくれない。正行さんも言ってくれない。私は頭に来てしまった。それ以来紗季と由季の事は関係なしに、正行さんの休みの日に一緒に出掛ける事は一度も無かった。
SEXも無かった。
夜、眠れずにいて悩んでいた。母親にも言わなかった。ある日これではいけないと夕飯が終わった時に「正行さん相談があるの。夜眠れないの」と言ったら「今、話す事じゃないっ!」と怒鳴られた。私は今じゃなければ、いつはなしゃぁ~いいんだよと思った。この瞬間離婚しようと決めた。あとはいつそれを言うかだ・・・。
ある正行さんがお休みの日「話があります。離婚して下さい」と切り出した。そうしたら、無言でいきなり私の胸を掴もうとした!慌ててよけた。何考えてんの?この人。「この家から出て行って下さい」と告げた。「〇日までに出て行って下さい」と言った。その日私は出かけていた。正行さんの荷物なんて大してない、もう家に居ないだろうと思って帰ったらまだ駐車場で車に荷物を積んでいた。私は無視して部屋に入った。部屋に一人でいても無駄なので実家に帰った。母親は私が正行さんに突き飛ばされている瞬間を見ていたので離婚に反対はしなかった。正式に離婚するのに両家で話し合いをしようと言っていた日に向こうの家族は連絡がなく時間が過ぎた。兄は「この俺を待たせやがって」とズレてる事を言っていた。頭に来た私は電話をしたら姑が出た。「なぜ来ないのですか?」と聞くとオロオロしながら「だって本人が行かなくて良いって言うから・・・」だと。あと、こうなったのを私のせいだと言ったので「自分の息子に言ったらどうですか!」と怒ってしまった。
しばらくしてから実家に家庭裁判所から「呼出状」が届いた。自分から話し合いをしないでおいて調停離婚に持って行ったのだ。
つづく。
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