㊱ 結婚

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セサミ・テニススクールを退職してから次の仕事は社員ではなく、とりあえずアルバイトでも良いから始めようと決めた。


エルナード内の「WETMAN」というGパンを中心にあつかっている婦人服店の応募して面接に行った。
お店に行って店長と目が合った瞬間、一目惚れをした。「あっ、私、この人と結婚する」と思った。喫茶店で面接。「タバコを吸いますか?」と聞かれた。台湾に居た頃、先輩方にタバコを進められても断っていたが、帰国して引きこもっていた間に愛煙家になってしまった。「えっ、吸います」「どうぞ」と言われた。面接でタバコを吸うなんて初めてだ。断ったら採用されないのかな?なんて馬鹿な事を考えながら、勧められたんだから吸ってしまえと思い一服した。「何歳に見えます?」と聞いてきた「27歳くらいですか?」「その通り!」面接とは思えない会話だった。一折の質問を終えて面接は終了。採用された。

フルで入った。店長と話すのが楽しくってしかたなかった。

仕事も一生懸命にやった。売上がだいぶ上がったと言っていた。
お客様が居ない時は楽しく話して良い雰囲気になっているのに、なかなかデートに誘ってくれない。業を煮やしてしまった私はバイクで通勤している店長に「今度後ろに乗せて下さい」と誘った。それから、仕事が終わってから食事にも誘った。デートをして仲良くなってお付き合いを始めた。お店のスタッフには言っていなかった。
いつも、店長は私が駐輪しているバイク置き場まで見送りに来てくれて、それから自分のバイクで帰っていた。ある日、二人で駐輪場へ行ったら女性のスタッフが自転車の影から出て来て「やっぱり二人付き合ってるんですね!」と怒鳴って出て行ってしまった。話しかける間も無かった。今のは何だったの?って感じだ。店長に聞いた「あの子と付き合っていたの?」「ううん」「じゃなんで、あんな事言って逃げて行ったの?」「分からない」・・・。翌日、その子が出勤していたので「昨日は何か話があったのかな?」と聞いてみた。その子は「トイレに行って来ます」と言ってなかなか帰って来なかった。やっと帰って来たと思ったら「取り乱してすみません」とだけ言って帰ってしまった。その後、アルバイトを辞めた。いったい何故取り乱していたのか、本人から聞く事はなかったが、おそらくその子も店長が好きだったのだろう。自分の方が早くから知り合っていたのに遅くに知り合った私が店長と付き合っていたのがショックだった。・・・ただの思い込みなのだが・・・。
同じ階に眼鏡屋が入っていてその男性店員とよく目が合った。食事に誘われたので、もしかしたら私に気があるのかな?と思い彼にその事を話した。そうすると彼はその男性に話に行って食事の話は無くなったし、私達の関係も分かってくれた。

彼は正行さんという。「正行さん」と呼んでいた。彼は「凜」と呼んでいた。夏に海に泊まりに行った時にプロポーズされた。
「僕のお嫁さんになって下さい」と言われた。げーーっと思った。しかもラブホテルでた。観光ホテルを予約していたのだが、私が調子が悪くなってしまって人と会うのが嫌になってしまって急遽ラブホテルに行ったのだ。今、思えば、その頃から「鬱状態」だった。
げーーっと思ったプロポーズだが、今の生活は嫌だった。「よろしくお願いします。」と受けた。

それから、とんとんと話しが進んだ。お互いの家族への紹介。結納、式場の下見。
式の準備が始まる頃WETMANを退社してLAZY SUSANに転職していた。
式場探しは正行さんは全く参加して手伝ってはくれなかった。私一人で探した。「九段会館」に決めた。決めてなんて無い。その当時は1年先でないと良い日が空いていなかった。おそらくそれで良い日が一番早く空いている日が九段会館だったのだろう。

婚約指輪も1度はお金がかかるから「要らない」と言った。・・・がそれを姉に言ったら「貰いなさい」ときつく言われた。正行さんに「やっぱり貰える?」と言うと「要らないって言ったじゃん!」とどなられてしまった。安い宝石店でプラチナ台のパールのリングを買ってもらった。
「要らないじゃん!」と切れられたので、私はシルバーメッキの人口パールのネクタイピンとカフスをアメ横で買ってあげた。
その頃から、夜眠れなくなってきた。夜寝ないでそのまま式の打ち合わせに行ったりした。母親も一緒に来てくれなかった。・・・が、姉から電話で「お母さんが凜はなんでも一人で決めちゃうのよって言ってたよ」と言われた。自分から言って来ないで何を言ってるんだと思った。仕方ないので母親の意見を聞きだしたら、引き出物を決める時に私が「こんなのはどう?」と言ったら「そんなのだめよっ!」と物凄く嫌な顔と言い方をした。
食事、引き出物、花、写真、席次、受付、スピーチ、司会者、招待状、宛名書き、そして、新婚旅行先、ツアーを選ぶ、新居の決断、全て正行さんはタッチしなかった。私の衣装を決める時、姉まで着いて来て口を出した。まずお色直しのドレス、1.2着目は姉が「ダメ」だと言う。3着目に着た紫のドレスが姉が良いと言うのでそれに決めた。ウエディングドレスは譲れなかった。11月の挙式だったので冬用のキルティングのウエディングドレスがあったのでそれに決めた!
結婚式の当日、私は顔に吹き出物、肋間神経痛、etcと体調は絶不調だった。

式は神前式にした。ヴァージンロードは兄と一緒に歩いた。正行さんは緊張しているようだった。
挙式が無事に終わって披露宴が始まった。食事をする事が出来なくてお腹が空いた。披露宴の最中、正行さんは一言も声を掛けてくれなかった。それどころか、キャンドルサービスの時に自分の右手を私の腰に添えるのではなく乗っけているのが重くってしかたなかった。イライラした。とりあえず、披露宴も終わった。皆、帰って行った。私達は九段会館に一泊して翌日にインドネシアのバリ島に新婚旅行に行く予定だった。
ホテルの部屋に入った。披露宴中何も食べていなかったのでお腹がペコペコだ。式が午後からで披露宴が夕飯タイムだったのだ。私は自分が食べていない分は取って置いてくれるのかと思っていた。・・がそんなことしてくれなかった。ではルームサービスを頼もうと思ってメニューを見た。オーダー時間が過ぎていた。それを見ていても正行さんは何にも言わない。「コンビニ行ってこようか?」くらい言えないのかね?と思った。「もう寝る!」と疲れたし眠った。

翌日新宿まで出て、「成田エクスプレス」に乗って成田空港へ向かった。
切符も全て私が手配したのだ。電車の中で外人の男性と向い合せになった。その人は英語で「ハネムーンですか?良いですね」と言った。私はニコニコしていたが、成田まで一緒なのかな?面倒だなと思った。それに正行さんは全くその外人さんを無視していた。その私達の雰囲気を察してくれたのか外人さんは話しかけるのを止めてくれた。

つづく。                                                                                                                                                            

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