約半年間の台湾勤務を終えて日本に帰国した。兄夫婦が成田まで迎えに来てくれていた。その足で千葉に住んでいる「Amway」のリーダーの家に連れていかれた。私は、クタクタだった。20歳になった時に兄にAmwayの入会(入会費用10,000円)をプレゼントされていた。いわゆるねずみ講だ。そのリーダーの所に行った。日本人なのに「テッド」とかいう名前だった。はなしもあまり聞いていなかった。やっと話が終わり、家まで着いた。その日は家族で近所のファミレスに行った。注文を持って来てくれた時に「謝謝」とくせで言いそうになった。
帰国して、まず母校インターナショナル・ビューティ・アカデミーに寄った。歓迎してくれた。新しい生徒もいて、台湾からの生徒も2人来ていた。私は講師になりたいなーと思っていたが、先生がちゃんといる。断念した。「いつから本店勤務できる?」と上司に聞かれた「G.Wは休みたい」と言おうとしたら「休みなんていらないよな」と決めつけられてしまい、速攻勤務が開始した。
お客様が全く来ない。当たり前だ。私は洗濯物を主にしていた。その頃、バックヤードで化粧品のノルマがある事が分かった。もう嫌だった。私は化粧品なんて施術で使用しないし、無理やり売りつけるなんて嫌だった。本店は銀座の並木通りにあり、その近くに「ゲラン店」もあった。ネイルは両店舗のお客様を接客していた。あまりお客様の予約が無いのに、1人でも入ると休めない。出勤すれば何かしら仕事をしなければならない。両店舗で少しづつ予約が入って1か月休めなかった。出勤する時の電車の中、憂鬱で憂鬱でしかたなかった。耐えられず私は、店長に「退職願」を提出して受け取ってもらい、自分の荷物を持って引き上げた。
その後、給料が振り込まれなかった。それを兄に話すと会社に毎日のように電話してくれた。・・・が会社側は一向に支払う傾向にない。兄は自分の知り合いの弁護士にその話をした。私が受け取る給料の1割で請け負ってくれた。事のいきさつを話し、先生は社長宛に「内容証明」を送ってくれた。そうしたら即、振り込まれた。社長の愛人の副社長は「凜は外国へ行って鼻が高くなって良い気になってる」「会社まで貰いに来たら払ってあげる」とも言われた。随分イヤな思いをした。
次には「たかの由梨エステティック」に就職した。当日は先輩のネイリストの様子を見学していた。「明日、凜さんの技術を見ましょうね」と言ったとたん、息苦しくなってしまった。涙も出て来る。私はベッドに横になっていた。そこは、お昼休憩も外出してはいけないと言われた。ありえない。今思うとこれは「パニック発作」だった。続けられそうにないので、申し訳ないのだが採用は取り消してもらった。
私はグッタリしてしまった。約半年間引きこもってしまった。
これではいけないと思い、就職活動を開始した。やはり近所が良い、正社員が良いかな?と考えて、昔住んでいた近くにテニススクールのフロントスタッフを募集していた。それに応募して採用された。同期にちあきちゃんという女性もいて、とても良い人で直ぐに仲良くなった。
私はバイクで通勤していた。フロント勤務はする事が多くて大変だったが楽しく働いていた。
つづく。
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